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上田城
(うえだじょう)
全景
写真は南櫓(左)、大手門(中央)、北櫓(右)です
城郭関連の本 城郭関連商品
所在地 長野県上田市二の丸
築城者 真田昌幸
別名 尼ヶ淵城・真田城
城郭形態 平城
備考 現在は城址公園となっている。
城址内に博物館が三つもあり、250円ですべて入れるのでお得。
また、西櫓は完全に現存。
アクセス 長野新幹線他「上田駅」より徒歩12分
駐車場 あり
満足度 ★★★★★(5段階中5段階)
写真販売 大手門と北櫓(フォトライブラリー)
真田幸村像(フォトライブラリー)
地図 Mapion
上田城訪問記
かつてこの地には、有力な土豪であった小泉氏の館がありました。
織田信長死後、真田昌幸は北条氏政に接近しましたが、後に徳川家康に接近。
これに怒った北条氏政が圧力を強めてきたため、昌幸は上田城の築城を開始。
途中で上杉景勝などの妨害もありましたが、上田城は完成しました。
1585年、「沼田城を北条氏に引き渡すように」という家康の命令を「沼田は父祖伝来の土地である」と昌幸が跳ね除けたことから、上田城は家康に攻められますが、昌幸は巧みに籠城戦を戦い、家康は上田城を落とせずに撤退しました。
1600年、関ヶ原に向かう徳川軍本隊が上田城に接近。
本隊の総大将である徳川秀忠は、昌幸に対し降伏を勧告しますが、昌幸は籠城の構えを見せます。
そのため秀忠は上田城を攻めますが、昌幸はここでも巧みに籠城戦を戦い、秀忠は上田城を落とすことができず、結局抑えの兵のみを残し西上しました。
関ヶ原の戦い後、上田城は徹底的に破却され、真田信之が入り復興に手をつけるも、信之は1622年に松代藩に転封となり、松代城主となりました。
そのため上田城は荒廃しますが、その後に入った仙石氏により、上田城は復興されました。
1706年、仙石氏が但馬に転封となった後は松平氏が入り、忠礼の代に明治時代を迎えました。
参考文献・参考サイト
ビジュアル・ワイド日本の城(小学館)・現地解説板・現地配布パンフレット・埋もれた古城(ウモ氏個人サイト)
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